他人の目が気になって本当にやりたいことができない。
周囲を気にせずに自分の思ったことをするためのポイントを知りたい。
今回はこのような悩みに応えていこうと思います。
「あの人は私のことをどう思っているのだろうか?」と気になることは往々にあります。
ただ、周囲がどのように考えているのかということを意識するあまり、自分の行動が変わったり本来やりたかった事を抑え続けるのは辛いものです。
他人の目を意識しすぎると「他人の目を過剰に気にしてプレッシャーを感じたり期待されると自分らしくいられない」「視線が合ったけどもしかして笑われているんじゃないか?」「不満はないと言っているけど、本当は何かに気づいて欲しいんじゃないか」と猜疑心に取り憑かれてしまいます。
そのようなメンタルを改善して他人の目を気にせずに自分らしく生きるためのポイントを解説していきます。
他人の目が気になる原因は「承認欲」
そもそもですが、なぜ他人の目が気になるのでしょうか。
他人の目が気になる原因はシンプルです。
- 周りの人に良く思われたい、認められたいという承認欲
例えば、服選びであれば機能性だけでなく「周囲から見て恥ずかしい格好ではないか」「流行に沿っているか」「人と被っていないか」など踏まえて服を選ぶことがあります。
これは、この服を着たら周囲にどう見られるのかという承認欲によって動かされている心理が根底にあります。
人は誰しも承認欲があるのは当たり前です。問題なのはそこから「なぜ他人の目を気にしてしまうのか」ということです。
他人の目を気にしてしまうプロセスは以下のように作られていきます。
- 周囲によく見られたい、認められたいという欲求がある
- その欲求が反応して「周囲からどう見られているのだろうか」と頭の中で妄想する
プロセス2つ目の「承認欲が作り出している妄想」が他人の目が気になる心理の正体なのです。
つまり、他人が実際に「気にしている」「見ている」「認めている」というのは関係なくて自分の思い込みが他人の目を気にしている理由ということです。
そのような自分の承認欲が作り出している妄想によって自分で自分らしく生きることを抑制してしまっています。
いつの間にかに他人の期待を妄想して自分の考えが揺らいでいないか一度立ち止まって考えてみてください。
「周りにすごいと思われるために家を買いたい」「褒められるために勉強をする」「親に言われたから今の会社に就職した」など、多くの人は他人の期待を妄想してそれにに沿って動いてしまっていることが一つや二つあるはずです。
確かにそのような妄想に沿って生きていた方が自分で責任を感じなくて済みそうだし他の人と揉め事も起こりづらいので楽です。
しかしながら、そのような生き方ではいつになっても自分のやりたい人生を生きることは出来ません。
自分の人生を生きるためには、自分に降りかかる決断に対して責任を持つこと、生き方は自分決めることが出来るということを自覚することです。
変えられるものに集中する
ものごとには2つあります。
- 自分で変えられるもの
:自分の行動、考え方、現在 - 自分で変えられないもの
:周囲からの評価、他人の好み、過去、未来
この2つに分別するとしたら「周囲が自分のことをどう思っているのか」というのは「自分で変えられないもの」です。
好感度の高いタレントでもアンチがいるようにどれだけあなたが周囲に好感のある振る舞いをしてみてもそれを好ましいと思わない人はいます。
自分で変えられないものを考え続けても自分の思った通りになることはないのでストレスを溜めてしまうだけです。
そのため、考えるべきは「自分で変えられるもの」です。
変えられるものに集中するためのステップは以下の通りです。
アクションプラン
変えられるものに集中するステップ
- 今の生活の中で改善したいと思っている行動・考え方を思い浮かべる
:「朝5時に起きる」「人と緊張せずに会話できる」「休みの日はジムで筋トレする」「どんな時でも他人に対する敬意は忘れない」など、自分が今出来ていない、やっていない行動・考え方を思い浮かべてみてください。少なくとも一つは今の生活の中で改善したいと思っているものがあるはずです。 - 一つ選んで改善する方法を考える
:思い浮かべたものの中から、一番改善したいと思えるものがどれか考えて、一つに絞りましょう。例えば、行かないまま会費を払っているジムがずっと心残りでいつか行かないと思っていたから、まずは「休みの日はジムで筋トレする」ということに絞ります。 - 自分で変えられるものか、変えることでより良くなると言えるものか確認する
:一つに絞ったらそれが自分で変えられるものなのか、変えることでより良くなるものなのかを確認します。「休みの日にジムを行く」というのは自分の休みの日の使い方を変えるということです。休みの日のうち1時間も確保できないということはないと思いますので、これは自分の行動次第で変えられるものです。 - 納得したら無心で行う ※重要
:何をするか決めたら後は無心でやるだけです。ジムに行くと決めたら休みの日は無心でジムに向かいます。慣れないうちは「こんなことしても変わらないんじゃないか」とか「次の休みからにしよう」とかやらない理由を探そうとします。多くの人はここで挫折します。理由は必要ありません、決めたらやるだけです。続けているうちにやらないと違和感が出てくるようになります。
変えようとしてくる人とは距離を置く
周囲にこのようなことを言ってくる人はいないでしょうか。
- お前のためを思って言っているんだ
- 俺の言う通りにすれば間違いない
- 絶対に〜のようにしなさい
- なんで人の言うことを聞けないのか
- 何度言ったらわかるんだ
このような事を言う人がいたら、友人だろうと親だろうと距離を置いた方が良いです。
この断定的で一方的な表現は周囲を自分の思うように変えようとすることが目的になっています。
先ほどの話で言うところの「自分では変えられないもの」に対して圧力をかけて強制的に変えようとする言動です。
このような発言をする人が近くにいると「この人の期待に応えないとまた同じことを言われる」と考えてしまい、自分が本当にやりたいことができなくなってしまいます。
他人に期待しない、自分を頼る
多くの人は、何かあった時の拠り所を自分の心の内側ではなく、親や恋人、世間の評判に求めています。
辛いことがあったら親や恋人が味方になってくれる、会社からの評判の良い学歴と経歴を持っている、といったものです。
自分らしく生きるための答えは世の中のどこかにある、だから価値があると思われているものを手に入れれば心が満たされるだろう、と信じています。
自分の生き方に自信が持てないから周囲の人からの評価をあてにするし、自分を軸として生きようとすると周囲から批判されて苦しみしかないから、世の中に拠り所を見つけたがります。
しかし、残念ながらそのような求める心は手に入れても、また新しいものを求めるようになり「もっと欲しい」と心が乾き続けたままになります。
そう考えると、世の中に何かを求めたところで思った通りにいかず怒りや妄想で疲弊するだけです。そのようにして疲弊した心を癒そうとして、また世の中に何かを求めようとする。
- 世の中に心を満たすものがあると信じる
- 手に入ってもまた欲しくなる
- 手に入らないと怒りや妄想が生まれる
- 心が疲弊して心を満たすものを探し始める
この負のループが心が満たされない原因であると自覚しなければなりません。
ではどうすれば良いのか。
世の中に何かを求めるのではなく、自分の心と生き方の軸を拠り所として生きていくことが負のループから抜け出す唯一の方法です。
「何かにすがりたい」という思いが強い人ほど、心細さを感じるかもしれません。
それでも本当に自分らしく生きるためには自分の心の内がどう思っているのか、どのように生きていくのかという自分の軸・考え方を確立させるしかありません。
自分の心がどう思っているのかに気づくための瞑想法と生き方の土台となる価値観を明瞭化するための方法については下記を参考にしてみてください。